生駒ロータリークラブ

生駒ロータリークラブ

「生駒ロータリークラブの歴史」 

創立1976年〜2002年  記:和泉慶男パスト会長
2003年〜2022年 記:中谷裕二良会長

 

1976~1986年 記:和泉慶男パスト会長

1976年(昭和51年)に創立された生駒ロータリークラブは、今年2022年は創立46周年に当たります。中谷会長と私が歴史を担当するとすれば前半の23年間はまさしく生駒ロータリークラブの成長期に当たると言えます。これは同時に日本が高度成長を成し遂げ、その恩恵に与った時代と言えます。

1.生駒RCの創立は1976年6月11日大和郡山RCをスポンサークラブとして12名が独立、奈良県下で第8番目のロータリークラブ(以後RCと記す)が誕生しましたと書かれていますが、大和郡山RCの中では生駒RCの独立に対して賛否両論、議論が沸騰し、すんなりと了承は得られませんでした。その頃のいきさつを初代駒井幹事は臨場感豊かに、十周年記念誌「十年の歩み」の中で次のように述べておられます。

1973年12月10日(月)大和郡山RCの例会後のその足で、生駒在住メンバー有志が山代へ行ったのです。生駒RC設立準備懇親会、山代温泉花月別館、当時、奈良RC会員であった倉彦市医師も「生駒RCができたら僕も生駒へ帰る」と、この会に加わりました。懇親会では、なんといってもRCは「親睦が第一」そして「スマートで格調高くいきましょう」と申し合わせました。内輪でしたがこの日が実は生駒RCの旗揚げだったのです。翌日、雪の残る道をたどって山中RCへメイキャップしたのも今は懐かしい思い出です。

その後も、大和郡山RC内では、生駒RC設立をめぐって、激しい意見の対立があり、結論が出たのはちょうどそれから2年後の1975年(昭和50年)の暮でした。法隆寺管主の間中定泉さんが千宗室ガバナーから特別代表を委嘱されたのが1976年2月5日。郡山RCに在籍中の12名は全員がキーメンバーの自覚を持ち、各会員宅へ新会員の情報を持ちより、慎重に選考を重ね、候補者と面談、インフォメーションを実施しました。そして当時の規約では最低構成人員の23人でスタートしたのです。設立まであわただしくはありましたが、実に充実した半年でありました。当時の条件ではRI加盟に必要であった23名というチャーターメンバーにまだ足りない11名を地元の経営者から厳正な面接や推薦に合格された方々を加え、クラブ名を生駒ロータリークラブ(仮称)とし、初代会長に松本實道宝山寺管長を決定しました。県下で第8番目のロータリークラブの誕生です。

1976年6月11日には緒方準一、田中豊パストガバナー、RI第365地区ガバナーに委嘱を受けられた特別代表、間中定泉(けんちゅうていせん)法隆寺管長をはじめ、スポンサークラブの大和郡山RCからたくさんの会員のご参加の下、創立総会が宝山寺信徒会館において催され、1976年6月26日には異例の速さでRIへの加盟が認証されました。ここで松本実道会長は生駒ロータリークラブのお披露目であるチャーターナイトを「スマートで格調の高い」認証状伝達式にしたいと述べられ、このフレーズはその後の生駒RCの行動の指針になっています。

当初の例会場は奈良ホテル別館(近鉄奈良駅ビル8階)で例会日は毎週水曜日 例会時間は18:00~19:00例会場は生駒交通(株)の事務所をお借りすることになりました。

6月11日宝山寺信徒会館で設立総会。
6月26日RI加盟正式認証の受託。

と異例のスピードで、世界のロータリアンの仲間入りが出来ました。
その生駒ロータリークラブ認証状伝達式(いわゆるチャーターナイト)が1976年11月13日に開催され、その時の「10年の歩み」の記事は次のように誇らしく述べています。

「去る6月11日に誕生した当生駒RCの成人式ならびに披露宴ともいうべき認証状伝達式が、菊花かおる11月13日、新築なった生駒市民体育館で盛大に開催される運びとなった。当日は佳き日を祝うかのように好天に恵まれ、午前10時からの登録受付は30分前から参加者が詰めかけ「おめでとうございます」「ようこそいらっしゃいました。ありがとうございます」という声が錦に映える生駒山麓にこだましました。

当日はロータリークラブ関係のご来賓や奈良県下のロータリアン330名にお越しいただきました。祝宴の様子は「大阪ロイアルホテルの出張によるパーティ。祝宴場中央に設えられたミニ庭園の周囲テーブルに盛り沢山のフランス料理を並べたきれいな盛り付けは視覚にアピール、その上、味よしとあってサービスのホステス譲も大忙しであった。また、特設屋台の寿司、ふろふき大根、そばの屋台の前には行列ができ、千直前ガバナーもニコニコと参加者と談笑しながら並んでおられたのが、印象的でした。

ここで千直前ガバナーというお名前が出ましたが、当日ご出席いただいた足立(あだち)ガバナーが挨拶の中で関係を説明されています。「さて、皆様もご承知のとおり、当生駒RCは昨年6月の誕生でございます。本日ここにご臨席の千直前ガバナーこそ本当の生みの親であると言えます。どうぞ皆様の拍手をもってお礼に変えてください」

チャーターナイトから翌年の1977年2月26日、屏東RCの創立22周年記念日に合わせて生駒RCから20名が参加し屏東RCとの姉妹クラブ締結を行ないました。以来屏東ロータリークラブとは親密な関係を維持しています。生駒RC会員の米井(こめい)先生と屏東ロータリークラブの陳鵬飛先生が緊密な友人関係であったことが提携のきっかけになっています。

チャーターナイトに続く10年間は人でいえば伸び盛りの青年期といえるでしょう。10周年を迎えた時の会員数は43名となっています。1984年5月に例会場が奈良ホテル別館からホテルフジタ奈良に移りました。クラブ事務所も2度移動しています。

この間、歴代会長の指導力と幹事の統率力、そして会員諸君の努力と協力によって、生駒RCはすくすくと成長してきました。「親睦、スマート、格調高く」のモットーは会員全員に浸透しています。奉仕活動も歴史の浅いクラブとは思えぬほどの貢献を続け、歴代ガバナーからお褒めの言葉を頂戴しています。

親睦活動に関しても積極的、県下との親睦ゴルフコンペも奈良国際GCでたびたび挙行。親睦旅行も地区大会は開催地で一泊、国際旅行も毎年のように海外へ。台湾へ行くときは香港やベトナムへも足を延ばして観光しました。

 

1986年~2002年  記:和泉慶男パスト会長
創立10周年を迎えて会員数は42名となり記念事業として生駒市役所へ救急車を寄贈しました。(1986/6/11)
創立15周年に当たる1991年には生駒ロータリークラブの最多会員数55名となる。このときの記念誌は「私の履歴書」という冊子が発行されました。
20周年を迎えた1996年には当クラブの銀行預金も多額になりました。
創立10周年を迎えたとき1986年の当クラブの会員数は43名が創立20周年を迎えた1996年には54名に膨らんでいました。   最初の10年間が生駒RCの草創期だとすると1986~1996年間はまさしく成長期であったと言えます。積極的に国際大会や屏東ロータリークラブへの訪問、生駒クラブ内の家族親睦旅行も大変盛んに行われました。1986年にはドイツミュンヘン、87年にはアメリカフィラデルフィア、88年韓国ソウル、89年アメリカ・ポートランド、90年メキシコシティ、91年アメリカ・オーランド、92年メルボルン、93年台湾台北、94年フランス・ニース、95年カナダカルガリー、96年スコットランド・グラスゴなど毎年国際大会へ出席するのに合わせて夫婦での海外旅行が盛んでした。国内の家族親睦旅行も熱心で、参加者全員浴衣を作って89年阿波踊りへ、94年宿会員の出生地、隠岐の島へ観光、95年には郡上八幡へ。また89年にはテレビでひっぱりだこの「みやこ蝶々さん」を迎えて市民のための特別講演会「女ひとり」を生駒市民体育館で開催し、満員の大盛況でした。その他健康講座、よろず相談会等毎年の市民への奉仕事業でした。

91年創立15年目、生駒RCは過去最高の55名の会員数となりスマートで格調高いロータリーを実現していたといえましょう。

20周年を迎えた頃には生駒RCの預貯金も相当多額になり、記念式典も最初は地味にと言っていたものの、「わしら生い先短いのに使ってくれんと当たらんようになるがな」という意見もあり親睦委員長が島根出身の吾郷さんであることにもより、東生駒の生駒図書館で大宴会、石見神楽の一座を松江から呼び、煙を吐くヤマタノオロチの大蛇退治を笛太鼓で大きな舞台を所狭しと中華街の龍のようにとぐろを巻き踊る神楽が繰り広げられました。

しかし世界を見ると、生駒RC創立13年目の1989年11月9日には,ベルリンの壁が崩壊。12月29日の大納会では日経平均が最高値の38,915円を付けたが、お正月明け1990年1月4日の大発会では200円の大暴落。それから30年.日本ではこれが「日本の失われた30年」と言われています。

1996年に50名だった生駒ロータリークラブの会員数は2003年には30名になりました。例会では会長がたびたび会員増強会議を旗振りされ、パンフレットを作っては事業所訪問等を行いましたが、いずれの企業も1991年以降のバブル崩壊の影響を受けられ効果はなかなか得られませんでした。

そうした状況の中でも生駒ロータリークラブの例会活動や地元を中心の奉仕活動は大変活発に行われていました。

1998年からは無料で士業の会員が市民の相談を受ける「よろず相談会」を数年にわたって開催しガバナー賞も頂きました。他、

  1. 生駒市少年野球にメダルやボールの毎年贈呈。
  2. 生駒市夏の盆踊りへうちわ協賛
  3. 生駒市内の中学校8校に本棚図書寄贈
  4. 生駒社会福祉協議会へ寄付
  5. 宿会長年度生駒ロータリークラブ創立25周年記念および生駒市制30周年記念に生駒市消防広報車を寄贈
  6. フィンランドからGSP指導者と青少年受入れ

生駒ロータリークラブの例会には多くの有名人をお招きしました。

松下電器産業(株)社長 谷口 昭雄氏
大和郡山ロータリークラブの現会長のお父様大石恒義様にはたびたび楽しい卓話をしにクラブへお越しいただきました。
期間を少し超えますが、2005年には岩本国際奉仕委員長にロータリークラブ発祥の地シカゴへ誕生100周年を記念して国際大会に参加し、併せて岩本先生お好みの恐竜博物館や地下鉄下の「ブルースのパブへ」連れていただきました。

 

2003年〜2022年  記:中谷裕二良会長
先日に和泉パスト会長から1976年(昭和51年)に創立された生駒ロータリークラブの前半、23年間はまさしく生駒ロータリークラブの成長期に当たり、同時に日本が高度成長を成し遂げ、その恩恵に与った時代と言えるとの卓話をしていただきました。

今年2022年は創立46周年に当たり、通算で47期を迎えました。

私が入会したのは2003年2月5日。安藤武徳パスト会長、中野光夫パスト会長から推薦をいただき、梅の花が咲く弥生3月前に入会式をとのお言葉をいただき、粕谷利春会長、松本亘幹事の元、パークホテルで初めての例会に出席させていただき、早19年の歳月が流れました。

当時はパークホテル開催されていた例会場を「生駒のアントレいこま」に移す案が浮上しました。

翌年2003-2004年度の久保田正一会長(私の中学校時代の校長先生)年度には、ここ、アントレいこまの屋上階の「らくらくハウス」が例会場となりました。当時はエレベーターが屋上階まで運用されておらず、5Fに受付を行い、そこから階段で屋上階に上がっていました。食事は近鉄ケータリングサービスさんが上本町から毎週運んで来ていただき、給仕もしていただきました。

2004-2005年度の和泉慶男会長年度から引き続き2005-2006年度の坂本成彦会長年度にかけては15名の新会員、純増9名で37名の会員がおられました。

2005-2006年度はインターシティミーティングをホストクラブとして、登録者数385名を迎え、今のたけまるホール(当時は生駒市中央公民館サンホール)にて開催しました。

大久保昇ガバナーをはじめ、地区役員、パストガバナーの皆様、柿本善也奈良県知事、中本幸一生駒市長をお迎えし県下13クラブが生駒に集結しました。特別講演は薬師寺副住職だった山田法胤師が「日本の心を失った日本人」と題したお話をしていただき、第2部の講演では、まつぼっくり少年少女合唱団の荒井敦子先生が「音楽は心のかけ橋」ー子供たちに日本人の心を伝えるーと題して講演と演奏をしていただきました。実行委員長は八木芳樹先生でした。懇親会はセイセイビルの1F文化ホールで今では考えられないほど盛大にコンパニオンの皆さんにもお越しいただき開催しました。

またこの年度は30周年記念例会を屏東扶輪社からたくさんの来訪を受け、多くの来賓と共にパークホテルで開催したのがついこの前にようです。

当選したばかりの名誉会員の山下真市長もお越しいただきました。週報を当日に配布する企画に、当時の広報委員長で、当時は近鉄の常務だった谷口宗男さんとプリンターを宴会場に持ち込み、その場で一緒に手作りしたのがとても印象的でした。

2006-2007年度の大西良則会長年度から「生駒山麓公園の桜並木プロジェクト」がスタートしました。

坂本成彦パスト会長からのご紹介もあり、日野自動車のグリーンファンドを得て桜並木整備事業は進んでいきました。その頃、奈良新聞に「ロータリーと私」と題した連載をしていただき、広報活動も積極的に展開が始まりました。

2007-2008年度の中野光雄会長年度では「タウンチャンネルいこま・生駒市民放送局」の機器贈呈を行い、「ロータリークラブの広報番組・ロータリーの広場」の放送が開始しました。また地球温暖化防止運動「チームマイナス6%」に参加を開始(登録番号LX12138663)

この年、お世話になっていた事務所を中谷石油さんのビルから近鉄百貨店の6Fへ移動を行いました。

またチャーターメンバーである飯田英二元会長が「風雲の85年・風の如く」を上梓(じょうし)されました。2008-2009年度の津田忠徳会長年度は生駒RCとして2回目の徳島阿波踊りに参加する移動例会を実施。皆で出かけました。また「生駒市民放送局開局支援」ならびに「ロータリークラブの広報番組・ロータリーの広場」運用に対してガバナー特別賞を受賞しました。

2009-2010年度阪本元久会長年度の頃から親睦活動が盛んになり、いこまどんどこまつりへの出店、月1のお楽しみ例会では「浪曲師の春野恵子」さん等をお招きしていました。1998年から続けてきました永「よろず相談会」は12回目を迎えました。

2010-2011年度槙原清一会長年度では初めてのロータリー財団の補助金申請を行い「創立35周年記念事業 生駒みどりの小学校」を早稲田大学人間科学学術院教授の森川靖先生をお招きし、生駒山麓公園にて開催しました。クラブメンバーが小学生の子供たちに分かりやすい環境教育の出来るようにティチャー役として研修を例会時に何度も行いました。また、約5年間に亘り続けてきました桜並木整備事業が100本を達成して、生駒市に対して寄贈を行い、記念碑を建てました。

2012-2013年度の鴻池良一会長年度頃からは奉仕事業もさらに拡大し、置き傘プロジェクト、生駒大社「観月の夕べ」の主催、生駒中吹奏楽部の支援スタート、千葉館山RCとの友好クラブ締結、台湾屏東RCに留学生派遣、屏東市内にポプラ並木200本植樹等を実施しました。

2013-2014年度岩本広二会長、2014-2015年度の久保周三会長年度、続いて2015-2016年度古森淳一会長は宝山寺参道の新たな賑わいプロジェクトの実施や将来のリーダー育成プロジェクト、希望の明かりプロジェクトの実施と、さらに奉仕活動の積極的な展開を行い40周年を迎えます。

41年度2016-2017年度は私が1回目の会長を拝命し、今までの奉仕活動を継承しつつ、生駒の地に根付いた奉仕活動、継続可能な奉仕活動を模索した年でした。大きなものでは「いこまココロの文化祭」、「桜並木樹勢回復事業」を産官学で実施し、多方面から取材を受ける事が出来ました。

以降、2018-2019年度の川上会長年度には「交通安全教育プログラム(いつも会える笑顔)」の立案と実施、2度目の会長をお引き受けいただいた鴻池良一会長の2019-2020年度ではロータリー財団の協力も得て「クラブ独自の奨学金制度」を企画実施し市内8校の中学生に対して進学支援を行いました。

観月の夕べの第2回も生駒大社で開催し、多くの来場者があり、生駒警察が雑踏警備の協力をいただくほどの盛況ぶりでした。この年、鴻池良一会長が地区ロータリアン1,000名近くが集まり開催される「職業奉仕講演会」で講師を努めました。この2021年の2月24日の京都テレサホールでの講演会の後、打ち上げを京都木屋町で行った写真が残っていますが、誰もマスクをせずに歓談しており、2月14日には奈良公園140周年記念移動例会を北河原公敬長老をお招きして開催しておりますが、この時もまったくノーマスクで歓談し皆で奈良公園に出かけて記念花火を鑑賞しています。ちょうどこの頃からコロナの陰が忍び寄り、瞬く間に緊急事態宣言となっていきました。翌年の槙原会長から和泉会長の2年間はコロナとの戦いのような毎日でしたが、その中にあって例会を出来るだけ開催し、家族例会も実施していただきました。そして、今年度はコロナ禍も落ち着きをみせてはいますが、第7波の到来、関係者の罹患、第8波に警戒しながらもアフターコロナ、ウイズコロナの時代を見据え、社会も少しつづ活気を取り戻しつつあります。

2022年6月末には2名の退会者(1名はご逝去)があり、2022-2023年度は7名でのスタートを切りました。第1例会には近隣クラブの会長幹事様、スポンサークラブの会長幹事様、またお知り合いのロータリアンの皆様、小紫生駒市長様、原井葉子教育長様、塩﨑一裕奈良先端科学技術大学院大学学長様をはじめ30名を越える皆様にご参集をいただき例会を開催いたしました。

2000年頃には約40名ほどおられた会員が今7名。2005-2006年度のプラス5名を除いてはほとんどの年度で新会員はおられるものの、退会者数が上回り、増減数で見るとマイナスが続いてきた事は否めません。正にジワジワと弱ってきた?といっても過言ではないかと思います。2000年以降、そのような環境であっても奉仕活動の充実は目を見張るものがあり、地区内においても、地域社会においてもその評価は高まった事も事実です。その事は奉仕活動を通して、またその広報活動を通して理解者が増え、その結果として会員も増える事を皆が願っていたのだと思います。

その間、手を打たなければならなかった事、同志、理解者を増やす事、将来を見据えた行動と決断が出来なかった事・・・等々その要因は様々ですが、今回のクラブ活動休止(解散)の理由は社会情勢や地域性の問題ではなく、一言で言うならば「クラブ内のガバナンスが効いていなかったこと」であります。その意味からもこれからの時代のこれからのロータリーを考え、地域におけるロータリーの役割、ロータリークラブに入る目的、その答えを今一度見極める為にこの道を選びました。

12万人都市、1,500の民間事業所を抱える生駒においてロータリーの灯を次世代に受け継いでいくにはどうしたら良いのでしょうか?

例えば中学生の子ども達に「ロータリークラブって何ですか?」問われたならば、私は次のように答えます。

「実行力のある地域のリーダーが、ロータリーという世界的なネットワークを活かして、自分や家族、地域社会、国際社会を幸せにする事を考え、行動している人達の集まりです」と。

近い将来、「これからの時代のこれからのロータリー」として再生出来る事を切に願う思いに変わりはなく、今後も行動していくつもりです。

 

「生駒ロータリークラブ版 ロータリーの目的」

1.「職業を通して社会に貢献し、地域社会の課題解決に向けて知見を活かし、平和な社会の構築と会員相互の親睦を深めること」

2.自己研鑽と発展を目指し、ロータリーのネットワーク「つながる力」を最大限に活かし自社・所属団体の活動、地域社会の発展に活かす。

3.ロータリーの奉仕の理念「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる(He profits most who service best )」は次のように解釈する。

「より良い製品・より良いサービスを創り提供する事により、会社の発展、社員の幸福を実現し、その延長線上として得意分野を活かした地域貢献、様々な奉仕活動を通して、より良い社会の実現を目指す」

 

2023年6月

生駒ロータリークラブ会長 中谷裕二良