市民が創る魅力ある観光まちづくり
株式会社読売奈良ライフ代表取締役社長 朝廣佳子
情報誌やウエブサイトの編集発行、ホームページ制作などの仕事の傍ら、ライフワークとして35年まちづくりを行っております。そのうちの一つが、夏枯れの観光客ゼロの状態から今や数十万人の来場者を迎えるようになった「なら燈花会(とうかえ)」です。
始まりは1999年。その10年前から私が所属していた青年会議所や商工会議所青年部などの青年団体が中心となり、「ならまつり」を開催していましたが、内容が市民ステージに市民模擬店、メインイベントとしてタレントを招くといったものが主で、市民には愛される祭りになりましたが、肝心の観光客が全く来ない。考えれば、県外から奈良市民のステージをわざわざ見に来るかというと、難しいと思います。
そんなことで10年を経て祭りをいったん終了して新しい祭りを立ち上げようと「まつりを考える会」を作りました。奈良にふさわしい祭りとは何かを追求し、その結果、奈良の夜の静けさや落ち着きを生かしたろうそくの灯りを使用するイベントの実施が決まり、カップの開発や実験に取り組み、今の形になりました。
実施は最終を灯りの伝統行事に合わせ、8月6日から15日の10日間としました。会場は奈良公園。4つのエリアに分け、6000個のろうそくを並べるところからスタートしました。試験点灯のポスター撮りの時は、あまりの美しさに涙が出そうでした。結果、高齢者しか来ないのではといった心配を吹き飛ばし、若い人たちが大勢来てくれて、初年度17万5千人の来場をいただきました。
そこで問題になったのが周辺社寺からの抗議です。伝統行事である灯りの祭りに差しさわりがあると、やめるよう要請してこられました。周辺商店街さんも夜22時まであけてほしいといったお願いもむなしく19時には閉まりました。そんな時、来場者から「おもてなしのない奈良だ」とお叱りの声をいただきました。
「燈花会だけ頑張っても仕方がない、結局周辺社寺や商店街、皆でおもてなしをしない限りは発展しないんだ」と思い知り、翌年からも根気よくお願いを続けました。
やっと周辺社寺も協力をいただけたのが5年目で、駅前の商店街などもそれに合わせるように協力を申し出てくれました。一気に来場者は70万人になりました。
さて、祭りの運営についてです。当日の10日間は「当日サポーター」を募集し、各エリアを担当してもらいます。10日間で延べ3000人のボランティアによって祭りが成り立っています。
燈花会の成功の要因は、欠点だと思った奈良公園の暗闇や静けさを利点に生かせたこと、祭りの形がシンプルゆえに全国に広がったことなどいくつかあげられますが、何といっても市民の力です。その力を借りるべく次に行ったのが平城遷都祭でした。
平城宮跡で奈良らしい祭りをしてほしいとの奈良市の要望を受けて、試行錯誤しながら取り組み、平城遷都1300年祭を経て、2011年からは平城京天平祭に名前を変えました。
平城遷都1300年のレガシーとして天平行列をグレードアップし続け、県内の企業や大学などの参加をいただき、数百人規模の行列と「平城遷都の詔」の儀式を再現しました。
ですが、今どちらの祭りも岐路に立たされています。一つはボランティアの減少です。社会情勢が様変わりしたこと、20年以上経ってボランティア側も飽きてきたことなどの原因が考えられます。もう一つは、資金のこと。行政から予算をいただいてやっているので、行政がノーと言えば辞めざるを得ません。
どちらの祭りも単なるイベントではなく、市民が熱意を持って手弁当で取り組み守り育ててきたものです。またそういう参加の場を作ることで市民自身が様々なスキルを身につけるとともに、何より地域を愛する市民が増えていくのです。
皆様にお願いしたいのは、ぜひ地元の事業に少しでも関心を持って見に行っていただきたい、そして応援していただきたいです。切にお願い申し上げます。