奈良国立博物館で「忍性展」が開催
されている。忍性さんは奈良県三宅町
屏風に生まれ、16歳で死別した母の願いをうけて出家し、郡山の額安寺や奈良の西大寺で修行。人のためにつくすことが我が修行(利他行)との母の教えを胸に、貧者や病人の救済に尽力し、鎌倉版マザーテレサであった。また、鑑真和上を崇拝し、廃墟化した寺院の再興や土木事業、社会福祉事業にも身命を惜しまず取り組んだ。鑑真和上の生き様を描いた東征伝絵巻を発願し、唐招提寺に施入したのも忍性さんである。
私は寺に生まれ、寺で育った。大学を卒業して高校の数学の教師になったが、出勤初日母が言った。社会人として歩む三つの心掛けについてであった。(1)遅刻するな(遅刻は信用をなくすもの)、(2)若い時は名指しで言われるまで物を言うな(でしゃばるな)、(3)公金と女性に手を出すな。今もそれを守っているつもりである。53歳の時、住職をしていた父が急逝した。父の弟が住職を兼務したが、日常の勤めは小僧として私がすることになった。「一に清掃、二に勧行、三に世のため人のため」が母の口ぐせだった。多くの人が世のため、人のための行動をしているが、シテアゲル、お金を出シテアゲルの類は偽善、させていただく行動に感謝できる自分となろう。自分みがきの上に立った行動をとのことである。
ロータリアンも同じだと思う。まず自分づくりがあって
こそ、ロータリアンの誇りである。中にはアダルト・チルドレン?とおぼしきもあり、自らヤル気、ホン気、コン気で自分づくりの上でのサーブをしよう。母がする無意図の教育が子の歩みを誘うもの。ここで「教育」を分解しよう。「教育」という話は江戸時代の翻訳家箕作麟詳(みつくりりんしょう)が作り出したもの。「教」の字の左側は子供に交わることを、右側は棒で叩いて無理にさせるの意味、「育」は子の字を逆さにして、下に肉付きを、「教育」とは、「子供に棒で叩いてでも教えて養い成長させること」これが東洋的発想。西洋ではeducationはラテン語のeducoから由来、引き出す、育てるが源で、人に内在する素質を引き出して育てることである。
そこで今日的な解釈は「基礎基本は徹底して教え込み、
各人のもつ素質を引き出して人間形成を図ること」
昔は働く父の背中を見て子は育つと言った。現代社会では背中が見えない。「勉強せよ!」「・・・したらダメ」などのガヤガヤ言葉ではなく、父母の話す日常の言葉(特に母のことば)が身にしみるものである。教育とはそんなものだと考えている。