私の人生には、3つの柱があり、それは、「自動車」、「剣道」、「民謡」です。
前回の卓話では仕事である「自動車」についてのお話をさせていただ きましたが、
今日は「民謡」についてお話させていただきます。
私は2人の姉の後に生まれた末っ子で、女の子のように育てられました。
姉たちや母のお付き合いで行っていた日本舞踊のお稽古先では、やんちゃで
叱られてばかりでしたが、祖父母に連れて行ってもらっていた民謡の集まりでは、
とてもかわいがっていただき、お菓子をいただけるのがうれしくて通っていました。
私が小学生だったある日、祖父母に連れて行ってもらった民謡の舞台で、「なんて
心にしみる音楽なのだろう!」と感動して、その日のうちに楽屋へ行き、「弟子に
してください!」とお願いしました。当然ながら、小学生では学校も行かなきゃなら
ないし、先生は北海道のご出身で通うわけにもいかず、断念せざるを得ませんでした。
高校は「剣道」で入学しましたが、全寮制で、厳しい稽古の合間に心の支えとして
民謡を聞いていました。そのあと、長いブランクの後、私が40歳の時、あの小学生の
時に弟子入りをお願いして断られた佐々木基先生が、偶然にも大阪で教えて
おられることを聞き、今度こそはと弟子入りをお願いしたとこ ろ快諾していただき、
現在に至っております。今は私も「基誓」 と名前をいただき、仲間とともに活動して
おります。
民謡は、作者不明で、誰が広めたかわかりませんが、先人の方々が、生活の中から
助け合い、育みあって生まれ、一種のコミュニケーションのツールとして「伝承」
されてきたものです。
民謡の歌詞をよく見てみると昔の生活での人の流れがわかることがあります。
北海道や東北の民謡に関西弁が混じっていたり、「やまとのつるし柿」など
という文言が入っていたりするのです。これは、関西から船がいろんなところ
を回って物資を運んでいたことの証拠だと言えるでしょう。「民謡は話をする
ように歌う」のだとよく師匠にアドバイスをいただきます。民謡の中で一番
多いのは「エイヤサー」「ソーラン、ソーラン」など、漁などの作業をする
ときの「掛け声」ですが、あとは「事柄」を伝える、まさに「伝承」、文化
を伝える手段だったと言えます。
話は変わって私の娘のこと になりますが、今度の6月の奈良県下の会長・幹事会
のアトラクションで日本舞踊を踊らせていただきます。 彼女は踊ることが大好き
で、 高校も大阪の公立高校で踊りのコースのある学校へ行くために自分で
住民票を移し、猛勉強の末に合格しました。これこそ「好きこそものの上手なれ」
の典型です。現在は東京芸術大学に進学し、おかげさまで、民謡舞踊で日本一に
ならせていただきました。
私は今、民謡の仲間のプロデュースもしておりますので、どこかで機会がありま
したら是非お声掛けください。これからも日本の伝統芸能、伝統文化を後世に
伝えていくために、精進してまいります。